失業して派遣で働くまでの思い出。
新卒で就職した会社は、知名度が高く安定している(と世間に思われていた)会社
でしたが、人間関係とストレスで4年程で退職しました。
失業保険と、退職金で「しばらくはなんとかなるだろう」と何にも決めずに。
仕事を辞めても、世田谷で借りていた賃貸アパートはそのまま。奨学金の引き落としや、
光熱費や携帯の引落しも今まで通り。会社帰りにコンビニの前を通ると、ビールと弁当、デザートを買うという癖も抜けず、自炊をしたりスーパーを使うという節約意識も全くなし。毎月のカードの引落しは30万弱。
みるみる貯金が減っていき、次のカードの引落しで底をつく状況に。
期待していた失業保険も、自己都合による退職のため、ハーローワークに登録から
3ヶ月は貰えないし、貰えても今の生活を続けることはできない。
仕方なく、失業保険は諦め、仕事を探すことに。
とりあえず、求人サイトに登録すると
「簡単な面接を行うので、一度会社に来てください」
との電話が。
学生の頃の就職活動もすぐに決まったため、次の仕事もすぐに決まるだろうと
思っていたが、担当者と面接を始めると
「資格も特段のスキルもお持ちでないので、正社員で雇ってくれるかわかりませんね。
年齢も若くないので……もちろん、面接次第なのでなんともわかりませんが。
バイトで働いて、そこから正社員になれる可能性のある求人なら経歴不問でいくつかありますが…」
と厳しい言葉が。当時は、20代後半でしたが世間的には若いと思われる人間で、自分もそう自覚していました。また、根拠のない自身もあり、履歴書にかけるような資格はありませんでしたが、そこそこの知名度のある企業で働いていた経歴もあるので、中小企業であればすぐに決まるだろうと。
担当者は、自分の親より少し若いぐらいの50代前半。シャツはシワシワ。靴も、ボロボロ。そして、禿げ。
結局、その場では何も決めることができず、帰りの小田急線の中でだんだん腹が立って来ました。
「なんで、あんな冴えないオヤジに馬鹿にされなきゃダメなんだ。大学まで出て、派遣やバイトなんてできるわけないだろ」と。
そして夜、家の中でだんだん大きくなる不安。
会社を辞めることを親に大反対されており、社会人になって学生時代の友達とも疎遠になっていたので誰とも相談することができず、
「前の会社は新卒ブランドがあったから入れたんだ。なんのスキルもないし、再就職できないかもしれない…」とネガティブな考えが、頭から離れない。
自己否定がどんどん大きくなっていく。
とりあえず、金を稼がないといけないので
「選べる立場じゃないし、内容は選ばず時給の高い仕事をしよう」と決め、
翌朝、昨日の会社に電話したところ
「引越し業者なら、面接なし・学歴不問ですね。時給は1,500円。」との返事。
8時間の勤務時間は保証されており、1日12,000円は確実。しかも、給料日前に現金での受け取りも可能。
引越しのバイトは経験がなく、なんとなく「体力的に厳しいんだろうなー」ぐらいの認識でしたが、大学時代に体育会系の部活にいたので「体力は人並み以上にあるし、金のためならなんとかなるだろう」と思って、OKしました。明日から、仕事があるのでユニホームを取りにきてくれとのこと。
そこで渡されたのが、上下緑のジャージ。赤井英和でおなじみ。
昆虫がシンボルの引越し業者。
この時は、「ガイアの夜明け」に取り上げられるずっと前でしたが、
とんでもないブラック企業だと分かるには時間はかかりませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿